海域アジア・オセアニア研究
Maritime Asian and Pacific Studies
東洋大学拠点

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調査レポート「宮城県沿岸部における災害と暮らし」の公開

調査レポート「宮城県沿岸部における災害と暮らし」の公開

2024.10.24

研究活動


本レポートは、2024年8月25日から27日にかけて、宮城県沿岸部にて実施された現地調査等の成果を一部抜粋したものです。

 

宮城県沿岸部における災害と暮らし

 

文筆:田川夢乃(東洋大学社会学部)・中野真備(人間文化研究機構・東洋大学拠点)
写真:明星つきこ(日本学術振興会)

 

8月25日(日)

 気仙沼市唐桑町舞根第二地区の高台移転先にて、移転後の生活に関して聞き取り調査を行なった。この日は、毎年8月30日に開催される灯籠流しの灯籠の準備をされるとのことだったので、その場に参加させていただき、お話を伺った。灯籠流しは、震災をきっかけに設立された地域の自治組織の定例会の一環でもある。定例会では、地区の行事や団地の生活について話し合われる。だが、参加者はそれ以上に、住民同士で集まってひとつの机を囲い、お酒を飲んでおしゃべりをすることが楽しみなのだと語ってくれた。こうした集まりは、東日本大震災時の避難所生活に端を発する。舞根第二地区の住民で3つの教室を用いて集団生活を行っていた際、住民同士でお酒を飲みながら高台移転について話し合った。そのときに生まれた連帯感やコミュニケーションの心地よさが、現在まで定例会というかたちで顔を合わせる場を設け続けることにつながっているのだということだった。

 

8月26日(月)

 舞根第二地区の高台移転先にて、震災前の暮らしについて聞き取り調査をおこなった。遠洋漁業が盛んな唐桑半島では、男性は海(船)の仕事で長期のあいだ家を不在にするが、その間に女性たちは家を守り、陸(オカ)の仕事をし、ときに山でもキノコや山菜の採集をおこなった。11月頃にピークを迎える舞根の牡蠣剥き仕事が終わると、今度は春先に広島県の牡蠣剥きへと出稼ぎに行く女性も少なくなかった。女性たちが組織する自治会婦人部は、自治会傘下になる前から地域行事を支えてきた。震災をきっかけに途絶えてしまったものや、再開しようとした矢先に新型コロナウイルスの影響を受けて断念したものもある。今年はそうした行事がようやく復活する節目の年でもある。

 

8月27日(火)

 震災後、舞根地区は高台へ移転し、そのひとつが現在の舞根二区になっている。住民の多くが、震災前には海を目の前にした舞根湾の生活に慣れ親しんできた。そのときは海があまりに近すぎて意識しなかったものの、高台移転を経て、防潮堤のない美しい舞根湾の風景を眺めながら、あらためていまここが海なのだということを感じるようになった、という住民もいる。現在の高台の暮らしは地盤も固く、また津波が来るかもしれないと心のどこかで思うような状況からは大きく変わった。一方で、高齢化するなかでの交通の便や買い物など、生活上のさまざまな課題も残されている

 

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