海域アジア・オセアニア研究
Maritime Asian and Pacific Studies
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調査レポート「宮城県沿岸部における移動と災害(前編)」の公開

調査レポート「宮城県沿岸部における移動と災害(前編)」の公開

2024.6.13

研究活動


本レポートは、2024年6月1日から6日にかけて、宮城県沿岸部にて実施された現地調査等の成果を一部抜粋したものです。

 

宮城県沿岸部における移動と災害(前編)

 

文筆:明星つきこ(日本学術振興会・東洋大学)

 

6月1日(土):北海道・東北地区東南アジア学会例会(於:東北学院大学)への参加

 本研究会では、主に宮城県の沿岸部において漁業や水産加工業に携わるインドネシア人技能実習生に関する二件の調査報告がなされた。第一発表者である西川慧氏(石巻専修大学)による「石巻市におけるインドネシア人移住労働者受け入れの特徴―沿岸漁業と水産加工を中心に」と題した報告では、当該地域においてインドネシア人技能実習生や特定技能の労働者らの受け入れが開始された経緯や現在の受け入れ状況の詳細が紹介された。例えば、石巻市の沿岸漁業に携わる働き手の多くはインドネシア西ジャワ州出身者が多いとされるが、その背景には従来からあった地元の漁業者同士のつながりが自治体同士の連携事業へと発展した特殊な事情がある。本報告では、日本における移住労働者を取り巻く状況は地域や産業分野によって異なることが示され、また移住労働者をめぐる地域間比較の課題や可能性について議論された。

 第二発表者である石川真作氏(東北学院大学)による「塩釜国際交流協会の活動と東北学院大学学生の関わり」と題した報告では、塩釜市における技能実習生と地域の人びととの草の根の交流について、具体的な事例をもとに紹介された。本報告では、地元の国際交流団体やNPO法人、大学等が中心となり地域住民と技能実習生が日常的に関わる機会が創出されているようすが示され、互いに「顔が見える」関係となることの重要性が指摘された。地域の人びとにとって技能実習生が具体的な存在となることで、技能実習生に対するよりよいケアに繋がったり、災害発生時などの非常時の安否確認がスムーズになりうるといったメリットが挙げられ、またその過程において、受入機関や技能実習生以外の大学等の第三者が介在することの意義が議論された。

 

6月2日(日):宮城県沿岸部における防潮堤および震災遺構の見学

石巻湾の防潮堤(防災緑地2号)

 石巻市は東日本大震災の震源から最も近く、浸水の規模が大きく、そのため死者・行方不明者の数も被災市町村のなかで最も多いことから、東日本大震災における最大の被災地であった。甚大な被害を受けた本市における復旧復興事業では災害に強いまちづくりが目指され、沿岸部には二重の防潮堤が建設されている。例えば、長浜町の石巻湾沿いに位置する防潮堤(防災緑地2号)は、標高+4.5m区間と標高+2.6m区間からなり、延長約2,750mにわたり建設されている。本防潮堤は、海と可住地(市街地)の間に二重に堤防を築くことで津波の威力を減勢し、背後の市街地への被害を減少させる役割を担いながら、日常的にも散策が可能となるように遊歩道や緑地が併せて整備された防災緑地である。

 

 

石巻モスク

 上述の防災緑地近くには、主に石巻市に暮らすムスリムが利用する「石巻モスク」がある。本モスクは、震災後に愛知県から石巻市に移住し、現在市内で建設会社を経営するバングラデシュ出身のソヨド・アブドゥル・ファッタ氏が2022年に松原町に建てたイスラム文化センターである。市内には技能実習生や特定技能労働者として働くインドネシア出身のイスラム教徒(ムスリム)が100人近くいるとされ、石巻モスクは礼拝所や文化交流の拠点としての役割を担っている。本礼拝所の建設は、人口減少や働き手の不足が続くなかで、今日の地域経済にとって必要不可欠な外国人材の受け入れ環境を整備し、多文化共生社会を推進する事例の一つである。

 

震災遺構門脇小学校および大川小学校

 石巻市内沿岸部に位置する門脇小学校および大川小学校の各校舎は、津波被害の津波や浸水被害を今日に伝える震災遺構である。門脇小学校では、平時の避難訓練や震災発生時の適切な避難行動により児童や職員の多くの命が助かったものの、津波によって引き起こされる津波火災の痕跡を残す唯一の震災遺構として、火災に見舞われた校舎を公開している。大川小学校では、近くを流れる北上川を遡上した津波によって破壊された校舎や屋外運動場、野外ステージなどが震災遺構として保存・公開され、展示スペースを備えた隣接する「大川震災伝承館」とともに津波被害を伝えている。

 

 

南三陸町震災復興記念公園

 本記念公園は志津川湾の側に位置しており、かつて市街地があった場所である。現在、公園の中心には追悼と鎮魂のための「祈りの丘」がつくられ、また15.5mの津波に襲われた南三陸町旧防災対策庁舎が残され、震災の記憶を後世に伝える場所となっている。公園の東側には「南三陸さんさん商店街」が整備され、南三陸町の名産品を扱った商店や飲食店が立ち並ぶ。また公園と商店街をつなぐ「中橋」は南三陸杉が使われたウッドデッキであり、今日の南三陸町における復興のシンボルとなっている。

 

 

6月3日(月):気仙沼市における海辺居住とまちづくりに関する調査

海の市およびシャーク・ミュージアムの見学

 気仙沼市魚市場に隣接する「海の市」は、気仙沼港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や水産加工品を販売する店舗や飲食店が入る物産館である。また気仙沼市はサメの水揚げ量日本一を誇り、物産館の二階は日本で唯一のサメの博物館となっている。この「シャーク・ミュージアム」は令和6年に展示をリニューアルしており、沖縄美ら海水族館とのコラボ展示や映像資料、実物大のサメの模型等を通してサメの生態や研究について知ることができる。また気仙沼におけるサメ漁やサメの利活用についても、漁師世界地図の特大パネルや写真を用いて解説されており、サメの生態的側面のみならず、人びととの関係を含む社会的な側面についても学ぶことができる施設となっている。

 

気仙沼港周辺地域の見学

 震災直後の津波により市街地に打ち上げられた大型漁船(第18共徳丸)の写真はあまりに有名であるが、気仙沼市は石巻市と同様に津波や火災により壊滅的な被害を受けた地域である。現在の気仙沼港には出航を待つ大型の漁船が並び、また沿岸地域はかさ上げや防潮堤の建設などの大規模修復工事が終わり、再整備された景観となっている。水産加工工場などが立ち並ぶエリアでは分厚く垂直なコンクリート造の防潮堤が設置されている一方で、コミュニティセンターや後述の魚町屋号通りが位置する内湾地区では、海面水位が上昇すると自動で浮上し閉塞する「無動力」かつ「人的操作不要」のフラップゲート式の陸閘(りっこう/りくこう)が設置されている。普段は伏せているフラップゲート式の防潮堤を設置したことで、市街地から海を見渡す景観が維持されている。

 

 

 気仙沼港周辺の内湾地区魚町屋号通りには、震災後に再建された「男山」や「角星」などの登録文化財となっている店舗があり、いずれも店舗の二階部分などをギャラリーとして活用したり、震災被害や復興のようすを伝える場として一般公開したりしており、復興後のまちづくりに寄与している。
 気仙沼市復興記念公園は、市街地の高台(安波山のふもとの陣山)に位置しており、気仙沼湾や気仙沼大島を一望することができる。公園には「追悼と伝承の広場」があり、犠牲者銘板や伝承彫刻、復興記念の象徴としてモニュメント「祈りの帆-セイル-」が設置されている。本モニュメントは、船の帆をイメージしてつくられ、素材には船体に用いられるアルミ鋼材が使用されている。
 ここで紹介した場所は、今日の気仙沼のごく一部ではあるものの、いずれも津波による甚大な被害を受けながらも、海や沿岸部が地域にとって重要な社会的空間であることを踏まえ、「海と生きる」ことを選択した気仙沼市の復興のあり方を象徴している。

 

 

 

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