海域アジア・オセアニア研究
Maritime Asian and Pacific Studies
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調査レポート「ブトン島・ムナ島調査報告」の公開

調査レポート「ブトン島・ムナ島調査報告」の公開

2023.10.12

研究活動


本レポートは、2023年9月6日から9月10日にかけて、インドネシア共和国南東スラウェシ州にて実施された現地調査の成果を一部抜粋したものです。

 

ブトン島・ムナ島調査報告

 

文筆:太田淳(慶應義塾大学)

 

9月5日

Fort Somba Opu(ソンバ・オプ要塞)
 オランダ東インド会社がマカッサルを制圧した1669年まで、マカッサルを中心にスラウェシ島南西部を支配したのがゴワ=タロ連合王国であり、その首都の中心地はジュネベラン川の河口に近い三角州にあった。17世紀に繁栄の絶頂にあった同王国を率いたのは、二人の宰相カラエン・マトアヤ(在任1593-1637年)とその息子カラエン・パッティンガロアン(在任1639-54年)であり、ヨーロッパの科学技術に並ならぬ関心を抱いたこれらの宰相が、王宮を取り囲む城砦を大規模に増改築したのがこのソンバ・オプ要塞である。1辺が2 kmにおよぶこの壮大な城砦は、高さ7-8 m、厚さが3.6m にもおよぶ城壁を持ち、四隅には堡塁が築かれている。城壁の構造は当時のヨーロッパの築城技術の強い影響がみられ、宰相たちのヨーロッパの技術への関心とともに、貿易の要衝として栄えたマカッサルの富を彷彿とさせる。

 

Museum Karaeng Pattingalloang(カラエン・パッティンガロアン博物館)
 17世紀に王国を率いた宰相の名を冠したこの博物館は、かつての王宮を模して再建された建物を利用して、ゴワ=タロ王家やマカッサルの歴史に関連する品々を収蔵している。展示品には、砲術に強い関心を持ったこの宰相が作らせたと言われる大砲や砲弾、王宮の遺構、貿易品として取引された中国陶磁、スルタンの肖像画などが含まれる。

 

Balla Lompoa Museum(バラ・ロンポア博物館)
 ゴワ王国のスルタンの王宮を模した建物のなかに、歴代国王や住民に関連した品々、さらにブギス語やマカッサル語の文献資料を展示している。文献資料は18世紀に溯る王国年代記やイスラーム関連文献、さらに民間の人びとに作成されたと考えられる作品などが広範に所蔵され、資料価値が高い(しかし保存状態はあまり良好でない)。特記すべきはオーストラリアのアボリジニによって作成された樹皮画で、アボリジニと協働してナマコの乾燥作業を行うブギス人や、彼らの古いタイプの船などが描かれている。ブギス人によるインドネシア諸島東部とオーストラリア北部の歴史的つながりを研究するオーストラリア人研究者の働きかけによって、この博物館に寄贈された作品である。

 

Arsip Makassar(マカッサル公文書館)
 この公文書館には、19世紀後半から20世紀後半までの、マカッサルを中心とするスラウェシ島南西部各地で作成された公文書類が収蔵されている。資料のカタログを調査したところ、スラヤル島文書(Arsip Selayar)と呼ばれる資料群に、同島に駐在したオランダ植民地官僚が19世紀後半-20世紀前半の経済状況について残した記録が含まれるのを発見できた。そのなかには華人の商業活動や燕の巣の貿易についての記録を含むことがタイトルから分かるものがあり、今後の精査が必要である。

 

Limbo Wolio(ウォリオ城砦)
 伝承によると、ウォリオを首都としたブトン王国の王族とその臣民は、17世紀に頻発した海賊の襲来に対抗するために、海岸から近い丘の頂きを取り囲むように城壁を築いた。城砦の内部には現在も主にかつての王族や貴族の末裔である1,000人ほどが暮らしている。隆起珊瑚を積み上げた城壁には砲台や堡塁も築かれ、海岸から襲来する海賊を撃退する目的を持っていたことが確かめられる。城砦に囲まれた集落の中心部には、歴代スルタンの墓地やモスクが築かれている一方で、より古層のヒンドゥー崇拝に関連すると思われるリンガとヨニの聖地も現存し崇拝されており、文化の重層性が見てとれる。

 

 

9月7日

Pusat Kebudayaan Wolio(ウォリオ文化センター)
 1940年代に築かれたスルタンの王宮が、博物館として利用され公開されている。客間などが当時のままに再現されているほか、歴代スルタンの写真や遺品が展示されている。特にウォリオのスルタンが歴代の支配者—オランダ植民地政庁、日本軍政府、インドネシア共和国政府—から地域統治者として信任されることを示した書状は、スラウェシ島の地方王国が中央政権と取り結んだ関係を示していて興味深い。またブトン王国の歴代支配者を示す家系図は、ブトン王国と周辺王国との関係に関するウォリオの認識を示すことが確認できた。

 

 

9月8日

Museum Bharugano Wuna(バルガノ・ウナ博物館)
 ムナ(ウナ)王国の歴代国王に関連する写真や遺品が展示されている。オランダ植民地はこの地域にも支配を及ぼし、1914年にラハに統治拠点を置いた。その時から、かつては30 kmほど離れた地点にあった首都Kotanowunaからラハに政治経済の中心が移った。展示品には13世紀に始まる王国の支配者の系図などがあり、王国の形成や周辺王国との関係についてこの小王国が持つ認識を窺うことができる。

 

バルガノ・ウナ博物館
(2023年9月8日 撮影:長津一史)

 

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